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2008.09.30

なぜ人はその道を選ぶ

 恥ずかしながら最近になって気がついたのだけど、
DVDにデータを焼くときは、ウインドウズでデータを
送るよりもソフトを使った方がずっと早いのですね。

こんな基本的なことを最近になってやっと気がついた。

ウインドウズが便利になったから自分にも楽しようという
気持ちもあったけど。

それはそうと、このブログを見にくるのにわざわざ串
通してくる人がいるのだけど、どういう理由なのでしょう。
そんな価値はありませんよ。


よくなんでそんな仕事というか行為というかをする人って
いるのだろうという疑問を持つ人というのはいるものです。
この「なんでそんな仕事や行為・・・」が何であるかを書く
となにかと御幣があるのでここではスルーしてください。
とにかく、常識で考えたらなんで?というようなことをする
人はいるものです。

貴女ならもっといい仕事を選べばもっといい出会いや
幸せな生活もあったろうに・・・などと思うのは、ものすごく
野暮なことであり、失礼にもあたります。

ただ、そういう仕事なり行為をする人の心理というものも
理解しなければいけないと思います。

なんで自らの命を自ら絶ってしまうのだと思うのは、悩み
のない人の考えでしょう。
誰だって生きたいのです。
でも、生きられない人というのは存在するのです。
そういう人達を軽蔑のまなざしで見る人がいるとするなら
それはそれでおかしなことでしょう。

もちろん、中には犯罪を犯した後で電車に飛び込んでしまう
という身勝手な人もいますが。

例外は別として、そうした人の心理にあるのは、「不幸に
なりたい」という隠れた心理があるからだと自分は考えて
います。

人間は誰でも幸せになりたいなどと考えているはずなど
ありません。    そうではないのです。
世の中には不幸になりたがっている人だって存在するのです。

自らの人生を不幸にするために生きている人も珍しく
ありません。
そういう人は自分の不幸自慢をするでしょう。
しかし、その人自身も気がついていないと思いますが、自分で
自分を不幸にしたいと思っているものなのです。
だから、自ら不幸な道を選んでしまうのです。

人間とは、なんとも複雑な生き物。

それをあまりにも単純に考えてしまう人のなんと多いこと
でしょう。

こうした人間観を持っていることも、生きるうえでは大切なこと
ではないかと思います。
人間だもの。

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2008.09.28

幸せはアンケートで答えられるのか

自分は「幸福だ」88%、現状を肯定的受け止め…読売調査

そもそも世論調査というものがどれほど信用できる
ものなのかが問題なのですが、それを言ってはおしまい
だと思うので素直に受け止めましょう。

しかし、幸せというものを世論調査で計れるものなので
しょうか。
幸せとはなんぞやというのも難しい問題です。

その理由で一番多いのが「健康」だそうです。
まぁ、そうでしょう。
しかし、強い言い方をすれば、健康は強く生きていくための
手段であって、それが目的ではないはず。
そう考えるのが自然でしょう。

ついで多いのが「しあわせな家庭生活」だそうです。
これも屁理屈を書けば、なにを持って幸せなのかは人それぞれ
なので難しいところです。

もっと、屁理屈で書けば、自分の家庭さえ幸せならば人様の家庭
はどうでもいいのかということもいえなくもない。


「自分だけが幸せならばよいと考える人が多い」と考える人が72%
いるのとどこかつながっているかのように思えます。
そう考えるのは考えすぎでしょうか。

自分自身はどう考えているかといえば、その昔、ヘルマンヘッセが
言ったように「幸せを追い求めている人には幸せは来ない」という
考えです。

幸せだなんておこがましいことを考えない謙虚さも必要ではないか
と思うからです。

人を愛し、人のために涙を流す。

そんな素晴らしい人間は、存在そのものが哲学だと思います。

そういう人に自分はなりたい。

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2008.09.27

なぜ人気があるのか

 元総理大臣が引退するといったらマスコミがやたら
騒ぐわけだけど、まぁそれはいいです。
しかし、引退を惜しむ人が多いのはどうなのだろうか。

個人的には郵政民営化ぐらいしか印象にないのだけど。
もちろん、こちらがわの勉強不足もありますが。

そもそも次男を次の選挙にってことはやるべきでは
なかった。
それは21世紀の日本ではやることではない。

しかし、2世・3世の議員の多いこと。

ある意味、異常だよ。

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2008.09.24

本日の出来事から

 今日は暑い一日でした。
夏が終わっていくのは寂しいことですが、これも仕方のないこと。

冬が近づくにつれてなにがいやだって厚着をしなければならない
ことが面倒です。   朝起きて、布団から出るのが一苦労。
この想い、冬の間ずっとするのかと思うと気がめいります。

で、暑い日でしたので自動販売機で缶コーヒーの新製品のような
ものを買ったのです。
お金を入れました。
缶コーヒーが出てきました。
何かが違う。。。

その缶コーヒーは、ボタンを押したのとは違う種類のが出て
きたのです。
あまり細かいことにはこだわらない性格をしている自分ですが
なんとなく悲しくなりましたね。
自分は、それで我慢しますが、世の中にはその自動販売機に
書いてあるフリーダイヤルに電話してガンガン文句言う人って
いるんだろうな、なんて考えました。

そんな一日。

たまには、こんな日記みたいなブログもいいよね。

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2008.09.20

1111

 今日のタイトルが「1111」なのは、今回の記事が1111個目
だからです。   それ以外に意味はありません。

最近の一眼レフデジカメの画素数には驚かされます。
15万ほどの一眼デジカメのボディで15000画素だって。
そんなに必要なのでしょうか。
メーカーにしてみれば、その画素数が売文句になるし、ユーザーも
画素数アップを望んでいるし、単純に画素数が多ければいいと
思っている人も多いのだから、時代の流れとうことになるので
しょうか。

しかし、物事にはメリットもあればデメリットもあるものです。
それだけピントにシビアになるわけだし、被写体ブレや手ブレ
にも気をつけなければならない。

性能がいいということは、それを使う側にもそれなりのスキル
を要求されるわけです。

しかし、世間ではそういう考えの人は思いのほか少なくて
いいカメラを持っている人は写真も上手いと思っていたりする
からタチが悪い。

車に例えるならば、いい車に乗っているからといって車の運転
が上手とは限らない。
車の運転マナーがいいとも限らない。
車にお金をかけすぎて保険に入ってなくて、そういう人に限って
大事故を起こすも助かる。   それはいいこと。
しかし、保険に入っていないがゆえに人生を棒に振ってしまう
人もいるでしょう。

なんでも性能だけでモノを見るものではないのです。

で、何がいいたいかというと、これだけ一眼レフデジカメの性能
があがると下手な写真しか撮れない輩も増える。
それを自分が写真が下手だからと自覚してるならまだいい。
自分が悪いと考える人は、向上心もあるかもしれない。
しかし、タチが悪いのは、写真が下手なのは自分の技術不足
と考えるのではなく、カメラやレンズが悪いのだと思う人々。

そういう人を僕は、逆切れ的思考と勝手になずけています。

逆切れ的思考の人は、ネット上の掲示板でも見れば、もう
たくさん存在するわけです。
人間は、なんに対しても自分が悪いのではなく、他のモノが
悪いのだと考えた方がずっと精神的に楽なものです。
その楽な精神思考をする人は、悪いのは常に機械であり
それがカメラだったりするわけです。

もちろん、その対象が一眼レフカメラでなくてもいいのです。
パソコンでもいい。   車でもいい。  なんでもいい。

この逆切れ的思考の人は、なにをやっても自分を反省する
という思考を持たないでいるので精神的には楽でしょう。
しかし、人間は反省とか自分なりの工夫や思考をしない
人に良いことなど起きるほど甘い精神構造は持っていない
でしょう。

素直に生きる力を現代の情報化社会は、作ってしまっている
ように思います。

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2008.09.16

愛は自分を大切に出来てこそ

 人を愛するという行為は、言葉で言うと簡単だが実は
人間として大事業なことであると自分は考えている。

たまに車でスピードを出し過ぎて事故を起こして、自分は
助かったけれども隣の彼女の命が・・・という話は新聞でも
テレビのニュースでもよく聞く話である。

もらい事故なら仕方ないという考えも出来るかもしれないが、
どう考えても危ない運転をしている男はいるものだし、その
助手席に乗っている女の子を大切に想う気持ちはないの
だろうなと考えるのが自然というものでしょう。
だとするならば、そこに愛はあるのか。

簡単に愛といっても、まずは自分の身体を大切にして
自分自身の命を大切にする。
それが出来ない人間に人を愛することなんて出来るわけ
がないでしょう。
この自分を大切にするというのは、これまた愛と同じ
くらい簡単なようで以外なほど出来ていないことだと
思うのです。

車の運転は、あくまでもひとつの例です。

自分を大切にするには、過敏なくらいの神経が必要
です。
多くの人は、そのストレスに負けて自分を大切にしないと
いう方向に自分でも無意識に歩んでいってしまっている
のかもしれません。
丁度、誰もが幸せになりたいと思っていても、自分でも
無意識のうちに不幸の階段を上っていってしまう人が
いるように。

自分を大切にすることによって、自然と相手を思いやると
いう気持ちが理解できるようになります。
逆の言い方をすれば自分を大切にしていない人は、他人を
大切にすることはかなり難しいといっていいでしょう。
大切という言葉がまわりくどいならば、ストレートに愛と
いっていいと思います。

自分を愛する人こそが相手も愛せる。

この言葉にすれば簡単なことが、人間にとってはものすごく
難題な行為であるに違いない。

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2008.09.15

敬老の日に想うこと

 今日は敬老の日。

おそらくまた日本人が長寿世界一になっていることでしょう。
しかし、それでは世界の人は日本人が世界で一番長生き
してることを羨ましく思っているでしょうか。

そんな話、まず聴きませんよね。

理由は簡単だと思います。
人間、長生きすればいいというものではないからだという
ことです。

それに今の日本社会で長生きしていい思いって出来るの
でしょうか。
表に出てこない話でもお年寄りがベットに縛りつけられたり
トイレの便器に縛り付けられたり、夜になると騒ぐからという
理由で睡眠剤を飲まされて強制的に寝かされたり・・・。
ひどいのになると生爪はがされたということもあってそれは
ニュースにもなりました。

それは家族が面会に来て発覚したわけですが、家族が
面会に来なかったらわからなかったことでしょう。
考えてみたら恐ろしい話です。

お年寄りに対する暴言もひどいものがあります。
いまだに振り込め詐欺の標的にされています。

大切なことは、長生きするということではなくて、いかに
幸せな老後を送るかではないでしょうか。
しかし、寝たきりになってしまったり痴呆になってしまったら
その願いもかなわぬものになってしまうでしょう。
こういうことって敬老の日だからではなく、もっと日ごろから
考えておかなければいけないことだと思うのです。

長生き、長生きと数字では表現できないことの方が
多いのですから。

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2008.09.14

街を歩いて気づくこと

 最近、コンビニが減ってきている気がします。
自分が住んでいる街だけに限ったことではなうです。

コンビには、気軽に利用する人が多いために間違った
価値観で見られているように感じること多いです。
それは、コンビニの経営は(やったことないけど)想像以上に
大変だと思うからです。
そもそも数百万の資金が必要ではないですか。
その時点で、経営する人は、今までの貯金を使って頑張る
わけですよ。

しかし、ライバル店がすぐに出来てしまったり、自分達は悪く
なくてもオーナーがアホだったりという理由でやっていけなく
なってしまうことが多々あるようです。

この不景気で一人のお客がいくらお金を払うとう額も年々
下がってきているようです。

コンビニでアルバイトしてる人も利用する人が気軽に利用
してるからといって、そこで働いている人も気軽に働いて
いると思ったら大間違いでしょう。

シャッターの閉まってしまった、元コンビニを何件も見て
そう想いました。

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2008.09.11

愛と依存心の危険な関係

 まず最初に誤解のないように書いておきたいのは、
人間ならば大なり小なり誰にでも依存したいという心理
はあるわけです。
その依存したいという気持ち事体は悪いことではないし
責めることもできません。

しかし、世の中には当然ながらいろいろな人がいるわけで
その依存心がものすごく強い人っているわけです。
そういう人にとっては、愛とは依存心なわけです。

依存することが愛することだと信じているし(もちろん本人
は依存しているという自覚は持っていないだろうけど)、
どこが悪いんだと思っていたりするからタチが悪い。

人の心理なので勝手なのだが、依存とはその人に
よっかかっているだけなので、そのつっかえ棒が
取れたらもうその依存心の強い人のいう愛する人は
必要ないわけです。
しかし、自分では愛することが依存だと思い込んでいる
から自分を責めることはしないで相手を責める。
中には悲劇のヒロインになってしまう人もいる。

なまじ同情する輩もいたりして事態は大変なことに
なってしまったりする。

人を肩書きや職業などで判断する人は依然として多い。
人を判断するといっても、その人を愛する相手としての
判断材料にするためにである。

そういう肩書きやそういう経済力さえあれば、ずっと
依存し続けることが出来ると思う。
しかし、それは以前、ここで書いたこもあるのだが、
愛する人を他人との比較によって選ぼうとする間違った
愛し方につながるものでしかない。

人を愛することは、極めて積極的な姿勢である。
見返りなんて考えたりしない。
そこに依存はないに等しい。

依存心の強い人は、常に見返りを求める。
見返りがなければ、そこに愛はないと思い込む。
依存心を愛と誤解してる人は、常に心が不安定である。

依存を愛と誤解してる人は、常に心の弱さから目をそむけ
続けなければ生きていけない。
自分の依存しなければならないという弱さを直視してしまうと
その自分の弱さに愕然としてしまう。
それを恐れえる。

依存を愛と誤解してる人に心の安定は永遠にない。

愛は、依存とはある意味では正反対のものである。
愛は、与えるものとするならば、依存は与えられるのを待って
いる状態。
これでは大人と子供ほど違いが出てくる。
そう、人を愛するには精神的に大人にならなくてはいけない
のである。
精神的に子供の人には、当然ながら依存は出来ても人を
愛するという大事業な出来ないのは当然である。

愛と依存とは次元が違う世界がある。

この違いのわからない人は、危ない橋を渡る覚悟が必要
なのではないでしょうか。

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2008.09.07

街の中にみる格差

 雨が降りそうな不安を覚えながら街を歩く。

静かな住宅街。

いかにもお金のかかってそうな高級住宅街を見て想うこと。
高級乗用車が止まっている家もあるが、あきらかに人が住んで
いない家もある。
売り物件になってしまっている家もある。
更地になったまま数年たっている土地もある。

高級物件に住んでいる人はさぞや経済的に裕福だろうと
考えるのは素人というもの(なんのプロだかわかりませんが)。
そういう家は、ローンで家計は火の車だったりする。

家が立派でも家庭内は冷え込んでいる家庭も多いでしょう。
これはどうすることもできない。

まだ借金で首が回らない状態でも、笑が絶えない家庭の方が
幸せでしょう。
たとえいつか夜逃げすることになっても。

そうかといえば、いつ倒壊してもおかしくないような家もある。
地震の時とか心配である。
人が住んでいるのか住んでいないのか判断は難しい。

何件もあるが、そのうち何件かは当然ながら誰かは住んで
いることでしょう。
大丈夫なのでしょうか。

街を歩いただけでも、格差というものは簡単に目にするもの
です。

いい家に住みたければ一生懸命に働けとか努力とか言い出す
人達がいる。
主に団塊の世代に多いようです。

でも、そういう人は今の時代というか、今の社会のしくみを
知らないのでしょう。
自分だけ甘い汁を吸っているということをわかっての発言なのか
かなり首をかしげざるをえません。
頑張っても、一生懸命に努力しても、それが報われないのが
今の日本の社会。

かなりの人がマイホームを諦めてしまう。
崩壊しそうな家に頑張って住み続けるほかない。

こんなちょっと散歩しただけでも格差を感じるような社会に
したのは誰なのか。
トップはとっとと逃げ出してしまう。

街の中にも簡単に格差を感じてしまう。

ある意味、恐ろしいことである。

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2008.09.04

雑誌を見て想ったこと

 ココログの仕様が少し変わったような感じがするの
ですが。   タイトルも長く書けるようになりました。

最近、本屋で見たある雑誌。  最近のテレビを酷評
する内容でした。
ここまでいえばなんという雑誌かおわかりかと思います。

素直な感想。    我が意を得たり!です。

最近のテレビの面白くないのは今に始まったことでは
ありませんが、それを素直に表現する勇気のある人が
いなさ過ぎだと思っていました。

それにしてもキャウターという人々の収入には驚かされますね。
うすうす気がついてはいましたけど、あんなにもらっているとは。
それにギャラは上がることはあっても下がることはないそうな。
それじゃあ辞められない商売だわな。
たいして上手に司会してるとは思わないのだけど。

それでテレビで平気で「奥様方、値上げラッシュですよ。 それに
対策をしなくては・・・」と平気な顔をして言っているのだけど、
貴方たちは少しくらいの値上げなんてなんとも思っていないに
違いないなと心の中で思ったものです。
白々しい思いです。

お笑いタレントも多数出てきていますが、個人的には何が
面白いのかさっぱりわからないです。
なんでもいいから笑ってやろうと待ち構えている女の子を
笑わしてもたいしてお笑いの腕を上げたことにはならないと
思うのです。
そもそも、ねたが面白くない。
ただうるさいだけのタレントもいる。

よく、スポーツのアナウンサーや解説者がうるさいというのは
効くのですが、おわらいタレントがうるさいというのはあまり
聴きません。
個人的には、スポーツ中継のアナウンサーや解説者よりも
バラエティ番組のお笑いタレントの方がよっぽどうるさいと
思っています。
それで面白いならいいのですが、ぜんぜん面白くない。
自然と観なくなってしまう。

そういう人は多いのではないでしょうか。
それにテレビ局は気がついているのかどうかです。

さらに、タレント評論家にたいしてもその雑誌は酷評して
いましたが、自分も同意権です。
昨日までお笑いやっていた人が、世の名の事件や事故に
大して意見を言うこと事態はぜんぜん悪いことではありませんよ。
でも、そういうバラエティ報道番組といったらいいのでしょうか。
そういう番組の多さには閉口します。

そもそも、タレントがいろいろな事件にコメントを言ったところで
週刊誌に載っていた記事をそのまま言っていたり、ひどいのに
なると素人よりもひどいというか、それでは質問の答えになって
いないではないかという回答をするタレントもいます。
つまりタレントにコメンテーターは無理なんですよ。

探せば出来る人はいるでしょう。
でも、ほとんどの人が無理です。   テレビという場面に離れしてる
だけです。

それ以上でもそれ以下でもない。

タレント評論家がテレビをつまらなくしてる原因のひとつになって
いると自分は思っています。


今後、テレビはどんなにつまらなくなろうとも、なくなることは
ないと思います。
しかし、今後の発展となると難しいでしょう。
テレビよりもネットの方が楽しいから。
ネットはテレビよりもお金がかかるというデメリットはあるものの、
ずっと楽しく便利なもの。

さぁ、テレビよどこに行く。

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2008.09.01

感動と愛の矛盾

 良く雑誌の記事などで見かける話題に「感動の押し付け
に不快感を持つ」というのがあります。

確かに某テレビ局で毎年やってる24時間テレビなどが
いい例なのでしょうけど、あれでなぜマラソンをする必要
があるのか。
それは、テレビ局にとって非常に都合がいいからでしょう。
視聴者が感動してくれる。
テレビ局がさらにそれを煽るといっては言いすぎかもしれ
ないけど、とにかく「感動」という言葉を使う。

過去にはタレントのワープ疑惑から沿道のおばちゃんへの
恫喝といろいろあるが、何の目的で走っているのか
わからないのが正直なところ。

テレビ局は、それをニュース番組でも特集して、さらに別
の特集番組でも放送。   さらにワイドショーでも当然の
ごとく放送。
何回でも使える。
この方法はオリンピックでも使っている方法。

そこまでして「感動」させようとしている(?)から、物事を
客観的に観る目のある人に言わせると、「感動の押し付け」
になってしまうのだと思います。

最近の視聴者ならば、そこらへんは見抜いていると思います。

そもそも何の苦労もしてないことが明らかなアイドルに
貧困な生活をしている国の人々を取材させて本当に
理解できているのか疑問なタレントさんっているでは
ないですか。
オリンピックで顰蹙かうような人に貧困さが産んでいる問題意識
があるのか、かなり疑問です。

感動も愛も人から与えられるものではありません。
自分で感じる能力がなければならない。

しかし、この感動と愛を自分で感じる能力があるのかないのか
ということは、自分自身でもわからないもの。
わかるという答えをする人はおかしいでしょう。

だから難しいのですが。

感動すること。  人を愛すること。

これには、どうしようもない矛盾が生じている。

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